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●南こうせつとかぐや姫「神田川」 1971年9月、高校の後輩だった伊勢とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田と共に『南こうせつとかぐや姫』(第2期かぐや姫)を結成、シングル「青春」でデビュー。
吉田拓郎らの協力を得て制作されたファースト・アルバム『はじめまして』は、5万枚を売り上げる。
番組のオープニング(最初の6回まで)またはエンディング(7回以降)で、須藤リカとかぐや姫がこの曲を歌う実写映像が使われた。 この年NHK紅白歌合戦に出場の話が来るが歌詞の中の『クレパス』が商標なので『クレヨン』に変更してくれといわれて拒否。
このため出場を辞退した。「神田川」は後に東宝において映画化されるが、主役のイメージが歌と大きく違いすぎたと南こうせつは話している。
その後も映画化の話が絡み「妹」がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で解散が早まったという。 南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風として、音楽活動を継続する。
最後の2枚組アルバム『かぐや姫フォーエバー』は、オリコンLPチャートのトップ100に186週ランクインを記録した。 吉田拓郎、山本コウタローらとともに、静岡県掛川市で12時間のオールナイトコンサート「つま恋コンサート」を行い、5万人(警察発表では6万人)の観客を集める。 南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風としても出演。 2006年9月23日、吉田拓郎の呼びかけで再結成、静岡県掛川市で「つま恋2006」を行う。9時間半のコンサートに、日本各地から35,000人のファンが集まった。
僕もこの曲でかぐや姫を知った。
●南こうせつとかぐや姫「22才の別れ」
この曲のイントロを友人と一生懸命、練習してクラス会で歌ったことがある。
●南こうせつとかぐや姫「僕の胸でおやすみ」
一般には上の2曲ほど有名じゃないけれど、いい曲だよね。
かぐや姫としては珍しく「反戦歌」だ。
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満を持して、泉谷しげるの登場だ! 東京都立目黒高等学校を1週間で中退後、いろいろな職についたが長続きせず、当時「神様」といわれた岡林信康に衝撃を受けフォークシンガーを目指した。 「フォークゲリラ坂崎幸之助商店」にゲスト出演した時、はっぴいえんどにも影響を受けたと語っている。 この頃には漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた。
古井戸(加奈崎芳太郎・仲井戸麗市)、ピピ&コット(佐藤公彦・よしだよしこ)、生田敬太郎らと唄の市コンサートに参加。 このころ、よくライブでRCサクセションや古井戸と一緒にライブをやる。 よしだたくろう退社後の看板スターとして、エレックレコードを支える。 1972年セカンドアルバム『春・夏・秋・冬』をリリース。 加藤和彦がプロデュースを務める。タイトル曲「春夏秋冬」は彼の代表曲となる。 なお、シングルでも発売されたが同名アルバムの音源ではなく、オムニバスライブアルバム『野音 唄の市』収録のライブバージョンでシングル化された。 シングル盤ジャケットに「実況録音盤」と書かれている。 理由は、エレック関係者が「アルバムの音源はシングルにするにふさわしくない」と言ったからだと言われている。 また、1988年には、ロックアレンジで再シングル化されている。
1976年アルバム『家族』、『イーストからの熱い風』(1976年アメリカ録音のライヴアルバム)を次々と発売。 1977年、ストリート・ファイティングメンをバックバンドにしたロックアルバム『光石の巨人』(1977年)を発表し、これを最後にフォーライフレコードを去る。 吉田拓郎らの歌謡曲フォーク路線に嫌気がさしたという説や、当時「テレビ出演拒否派」の代表だった陽水や拓郎が「テレビ出演推進派」の泉谷にクレームをつけたなどの説がある。
泉谷しげるの代表曲。
スティーヴィー・ワンダーの名曲「迷信」に似てなくもない。 まぁ、それはともかく、都会のランナー、スニーカーを履いた芸術家、良識のある暴れん坊の泉谷しげるのパワーを感じさせてくれるフォークソングの名曲です。
●泉谷しげる「春夏秋冬」 泉谷しげるのデビュー曲であるとともに、泉谷しげるの代名詞とも言える名作。 ここでも泉谷しげるは都会で生きる人への応援歌を歌っている。
●泉谷しげる「黒いかばん」 がはは! 泉谷しげるの狂作だ。 作詞はあの「岡本おさみ」だ。 初めて泉谷しげるのために書いた作詞が、こんな曲になったので、岡本おさみは二度と、泉谷しげるに詩を提供していない(という説がある。) 我が家の近所に一橋大学があるのだが、そこの大学祭に泉谷しげるが出るというので、もちろん、さっそく僕は観に行った。 運がいいことに前から2列目からの座席だった。 そこで、コンサートの途中で僕が「黒いかばん!」と言ったら「黒いかばんがなんだ!!」と言うので、「やってよ!」と言ったら、快くやってくれた。 あとで、ステージから泉谷しげるが降りてきて、僕の頭を殴っていったのだが。
●こんな人が、泉谷しげるのこんな曲も歌っている。
上野樹里 「黒いカバン~野良犬~泉谷しげる/春夏秋冬」
「黒いかばん」を作るかたわら、こういう名曲も作るので、泉谷しげるのファンを僕はやめられないのだ。
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●オフコース「眠れぬ夜」 小田和正・鈴木康博・地主道夫らが、神奈川県横浜市の聖光学院高校時代に結成したフォーク・グループがオフコースの始まりである。 1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていた。
その実力は当時から評価されながらも、長年ヒット曲に恵まれなかった。 結成10年目の「さよなら」の大ヒットで多大なる人気を獲得、それ以降も数多くのヒット曲を生み出し、時代を代表するビッグ・グループになった。
しかし、音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた。
●オフコース「眠れぬ夜」 この曲で一躍、オフコースは脚光をあびる。 僕が初めてこの曲を聴いたのは、もちろんラジオの深夜放送だ。 で、「なんてきれいなハーモニーを出すグループなんだ!」と思ったと同時に、当時、吉田拓郎、泉谷しげるという硬派路線を突っ走していた僕は、「なんていう甘っちょろい歌だ。軟弱な!」と思ったものです。 今は、もう、そんなことを思っておらず、小田さんの最近のCDはもれなく買っています。 ちなみに、小田和正さんの実家は薬局で、お兄さんは東京薬科大学の合唱部にいた。(僕の先輩にあたるわけだ。)
●オフコース「愛を止めないで」 この(↑)動画を見てもらってもらっても分かるとおり、オフコースは圧倒的に女性ファンが多い。(もちろん、男性もいるよ。) 男性と女性の心理の機微をうまく歌っている。 この手の歌を唄わせたら、当時は、オフコースがダントツだった。
●オフコース「さよなら」 この曲でオフコースは「ニューミュージックグループ」として不動の位置を確立した。 女性ファンが多いのがうなずける名曲です。
■■日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作■■
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●西岡恭蔵「プカプカ」 1960年代にフォークグループ“ザ・ディラン”を大塚まさじ、永井洋と結成するが、1971年頃に脱退。彼が抜けた後のザ・ディランIIのデビューアルバム『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』のレコーディングに参加。
象狂象のペンネームで作った『プカプカ』は代表曲となる。 同グループはアルバム『悲しみの街』(ベルウッド)を発表。『ほら貝を語る』では三上寛と思われる人物が登場している。 1999年、自宅で首を吊って自殺。享年50。
●西岡恭蔵「プカプカ」 多くの歌手がカバーしている。 いい歌だよね。 ジャンルを超えて名曲だ。 たばことスイングジャズと男と占いが好きなこの女性は、ジャズ歌手で失踪した安田南さんだとうわさされました。 「日本をすくえコンサート'94」では泉谷しげるが歌っていた。(当然、僕は観に行った。)
このコンサートは出演者が豪華だった。
●西岡恭蔵 「サーカスにはピエロが」 フォークソングの平和な日々の懐かしい曲だ。 そうさ、サーカスにはピエロが必要さ。
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●斉藤哲夫「されど私の人生」
アマチュア時代から、あがた森魚、野澤享司、鈴木慶一、はちみつぱいらと親交を深める。 その後ファーストアルバム『君は英雄なんかじゃない』を発表する。 “悩み多きものよ”“されど私の人生”が URC 時代の代表的作品。 1973年CBSソニー から『バイバイ・グッドバイ・サラバイ』、1974年『グッドタイム・ミュージック』1975年『僕の古い友達』など3作品をリリース。 野澤享司のことを歌った、“野澤君”などの楽曲がある。また、その文学性の高い歌詞から若き哲学者、歌う哲学者等の愛称でも呼ばれた。 その後、キャニオンから2枚のアルバムとミニアルバム『ピカ-ピカ』をリリース。(宮崎美子が出演していたミノルタ(現コニカミノルタ)X-7の CM ソング「いまのキミはピカピカに光って」収録。)
●斉藤哲夫「されど私の人生」 吉田拓郎も歌っている。 人生を唄った歌は数多くあるが、この曲は5本の指に入る名曲だ。
●斉藤哲夫「バイバイグッバイサラバイ」 一般の人には全くなじみが無いと思うけれど1970年代のフォークソングに浸った人には、知る人ぞ知るフォークソングの名曲だ。
●斉藤哲夫「グッド・タイム・ミュージック」 う~~ん、名曲だ。 音楽家のサガとリスナーの深い絆を唄った斉藤哲夫の中での一番の作品です。
●斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」(作詞:糸井重里、作曲・編曲:鈴木慶一)
●斉藤哲夫「悩み多き者よ」 心に沁みる音楽。 青春が甦ってくる。
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