× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
満を持して、泉谷しげるの登場だ! 東京都立目黒高等学校を1週間で中退後、いろいろな職についたが長続きせず、当時「神様」といわれた岡林信康に衝撃を受けフォークシンガーを目指した。 「フォークゲリラ坂崎幸之助商店」にゲスト出演した時、はっぴいえんどにも影響を受けたと語っている。 この頃には漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた。
古井戸(加奈崎芳太郎・仲井戸麗市)、ピピ&コット(佐藤公彦・よしだよしこ)、生田敬太郎らと唄の市コンサートに参加。 このころ、よくライブでRCサクセションや古井戸と一緒にライブをやる。 よしだたくろう退社後の看板スターとして、エレックレコードを支える。 1972年セカンドアルバム『春・夏・秋・冬』をリリース。 加藤和彦がプロデュースを務める。タイトル曲「春夏秋冬」は彼の代表曲となる。 なお、シングルでも発売されたが同名アルバムの音源ではなく、オムニバスライブアルバム『野音 唄の市』収録のライブバージョンでシングル化された。 シングル盤ジャケットに「実況録音盤」と書かれている。 理由は、エレック関係者が「アルバムの音源はシングルにするにふさわしくない」と言ったからだと言われている。 また、1988年には、ロックアレンジで再シングル化されている。
1976年アルバム『家族』、『イーストからの熱い風』(1976年アメリカ録音のライヴアルバム)を次々と発売。 1977年、ストリート・ファイティングメンをバックバンドにしたロックアルバム『光石の巨人』(1977年)を発表し、これを最後にフォーライフレコードを去る。 吉田拓郎らの歌謡曲フォーク路線に嫌気がさしたという説や、当時「テレビ出演拒否派」の代表だった陽水や拓郎が「テレビ出演推進派」の泉谷にクレームをつけたなどの説がある。
泉谷しげるの代表曲。
スティーヴィー・ワンダーの名曲「迷信」に似てなくもない。 まぁ、それはともかく、都会のランナー、スニーカーを履いた芸術家、良識のある暴れん坊の泉谷しげるのパワーを感じさせてくれるフォークソングの名曲です。
●泉谷しげる「春夏秋冬」 泉谷しげるのデビュー曲であるとともに、泉谷しげるの代名詞とも言える名作。 ここでも泉谷しげるは都会で生きる人への応援歌を歌っている。
●泉谷しげる「黒いかばん」 がはは! 泉谷しげるの狂作だ。 作詞はあの「岡本おさみ」だ。 初めて泉谷しげるのために書いた作詞が、こんな曲になったので、岡本おさみは二度と、泉谷しげるに詩を提供していない(という説がある。) 我が家の近所に一橋大学があるのだが、そこの大学祭に泉谷しげるが出るというので、もちろん、さっそく僕は観に行った。 運がいいことに前から2列目からの座席だった。 そこで、コンサートの途中で僕が「黒いかばん!」と言ったら「黒いかばんがなんだ!!」と言うので、「やってよ!」と言ったら、快くやってくれた。 あとで、ステージから泉谷しげるが降りてきて、僕の頭を殴っていったのだが。
●こんな人が、泉谷しげるのこんな曲も歌っている。
上野樹里 「黒いカバン~野良犬~泉谷しげる/春夏秋冬」
「黒いかばん」を作るかたわら、こういう名曲も作るので、泉谷しげるのファンを僕はやめられないのだ。
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
トラックバックURL
|
![]() |