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【2024/05/19 22:09 】 |
フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●南こうせつとかぐや姫「神田川」

●南こうせつとかぐや姫「神田川」

1971年9月、高校の後輩だった伊勢とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田と共に『南こうせつとかぐや姫』(第2期かぐや姫)を結成、シングル「青春」でデビュー。

吉田拓郎らの協力を得て制作されたファースト・アルバム『はじめまして』は、5万枚を売り上げる。
 
1972年3月、テレビアニメ「海のトリトン」(ABC)の主題歌として、シングル「海のトリトン」を『須藤リカ/南こうせつとかぐや姫』名義で発売。

番組のオープニング(最初の6回まで)またはエンディング(7回以降)で、須藤リカとかぐや姫がこの曲を歌う実写映像が使われた。
 
1973年9月、シングル「神田川」を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。

この年NHK紅白歌合戦に出場の話が来るが歌詞の中の『クレパス』が商標なので『クレヨン』に変更してくれといわれて拒否。

このため出場を辞退した。「神田川」は後に東宝において映画化されるが、主役のイメージが歌と大きく違いすぎたと南こうせつは話している。
 
その次のシングルとして南こうせつが考えていたのは「22才の別れ」か「なごり雪」であったが、すでに映画化が決まっていたためレコード会社側が一方的に決めた「赤ちょうちん」をリリース(この曲からグループ名を「かぐや姫」に変更)。

その後も映画化の話が絡み「妹」がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で解散が早まったという。
 
1975年4月12日、東京神田共立講堂で行われた解散コンサートを最後に解散。

南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風として、音楽活動を継続する。

最後の2枚組アルバム『かぐや姫フォーエバー』は、オリコンLPチャートのトップ100に186週ランクインを記録した。
 
1975年8月2~3日、再結成。

吉田拓郎、山本コウタローらとともに、静岡県掛川市で12時間のオールナイトコンサート「つま恋コンサート」を行い、5万人(警察発表では6万人)の観客を集める。

南こうせつと山田パンダはソロ、伊勢正三は風としても出演。

2006年9月23日、吉田拓郎の呼びかけで再結成、静岡県掛川市で「つま恋2006」を行う。9時間半のコンサートに、日本各地から35,000人のファンが集まった。


●南こうせつとかぐや姫「神田川」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=acZYeirZ-J8

僕もこの曲でかぐや姫を知った。
NHKのFM番組で聴いたのが中学2年。
中2のくせに「しみじみ、いい曲だな・・・・」と思った。
次の日、学校で級友に唄ってみせたが、全然、感じてもらえなかった。
「4畳半フォーク」という言葉もこの歌から生まれた。

 

●南こうせつとかぐや姫「22才の別れ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=v1fZ_dqwKOg

この曲のイントロを友人と一生懸命、練習してクラス会で歌ったことがある。
途中の「ハーモニックス」(ポン!という高い音)がきいているよね。

 

●南こうせつとかぐや姫「僕の胸でおやすみ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=IqwEqfRJRTw

一般には上の2曲ほど有名じゃないけれど、いい曲だよね。
「日本のフォーク!」という感じだ。

 


●南こうせつとかぐや姫「あの人の手紙」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=5cSlEDVoWX8

かぐや姫としては珍しく「反戦歌」だ。
「22才の別れ」でかぐや姫のファンになった人が、つられてこの歌を聴く、というところに意味がある。

 


■■日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作■■
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【2011/10/07 20:23 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●泉谷しげる「眠れない夜」

満を持して、泉谷しげるの登場だ!

東京都立目黒高等学校を1週間で中退後、いろいろな職についたが長続きせず、当時「神様」といわれた岡林信康に衝撃を受けフォークシンガーを目指した。

「フォークゲリラ坂崎幸之助商店」にゲスト出演した時、はっぴいえんどにも影響を受けたと語っている。

 この頃には漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた。


1971年にライヴアルバム『泉谷しげる登場』でエレックレコードからデビュー。

 古井戸(加奈崎芳太郎・仲井戸麗市)、ピピ&コット(佐藤公彦・よしだよしこ)、生田敬太郎らと唄の市コンサートに参加。

 このころ、よくライブでRCサクセションや古井戸と一緒にライブをやる。

 よしだたくろう退社後の看板スターとして、エレックレコードを支える。

 1972年セカンドアルバム『春・夏・秋・冬』をリリース。

加藤和彦がプロデュースを務める。タイトル曲「春夏秋冬」は彼の代表曲となる。

なお、シングルでも発売されたが同名アルバムの音源ではなく、オムニバスライブアルバム『野音 唄の市』収録のライブバージョンでシングル化された。

シングル盤ジャケットに「実況録音盤」と書かれている。

理由は、エレック関係者が「アルバムの音源はシングルにするにふさわしくない」と言ったからだと言われている。

また、1988年には、ロックアレンジで再シングル化されている。


1975年、小室等、井上陽水、吉田拓郎とフォーライフ・レコードを設立。その第1弾アルバムとして『ライブ!!泉谷-王様たちの夜-』(1975年)を発表。
 
フォーライフ4人衆の連名ライヴアルバム『クリスマス』発表。

 1976年アルバム『家族』、『イーストからの熱い風』(1976年アメリカ録音のライヴアルバム)を次々と発売。
 
当時の泉谷はアルバムを作る際、次のアルバムタイトルを既に決め発表していた。
 
『ライブ!!泉谷-王様たちの夜-』の帯に『家族の前の…』など記してある(再発物ではない)。

 1977年、ストリート・ファイティングメンをバックバンドにしたロックアルバム『光石の巨人』(1977年)を発表し、これを最後にフォーライフレコードを去る。

吉田拓郎らの歌謡曲フォーク路線に嫌気がさしたという説や、当時「テレビ出演拒否派」の代表だった陽水や拓郎が「テレビ出演推進派」の泉谷にクレームをつけたなどの説がある。


最近はすっかり俳優が板についている泉谷しげる!なのだ。

 


●泉谷しげる「眠れない夜」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=rcyQj8jrfEw

泉谷しげるの代表曲。

スティーヴィー・ワンダーの名曲「迷信」に似てなくもない。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=3QkNqlH3ixY

まぁ、それはともかく、都会のランナー、スニーカーを履いた芸術家、良識のある暴れん坊の泉谷しげるのパワーを感じさせてくれるフォークソングの名曲です。

 

●泉谷しげる「春夏秋冬」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=a5JYgzd59oQ

泉谷しげるのデビュー曲であるとともに、泉谷しげるの代名詞とも言える名作。

ここでも泉谷しげるは都会で生きる人への応援歌を歌っている。

 

●泉谷しげる「黒いかばん」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=X6rVF2fOuNY

がはは! 泉谷しげるの狂作だ。

作詞はあの「岡本おさみ」だ。

初めて泉谷しげるのために書いた作詞が、こんな曲になったので、岡本おさみは二度と、泉谷しげるに詩を提供していない(という説がある。)

我が家の近所に一橋大学があるのだが、そこの大学祭に泉谷しげるが出るというので、もちろん、さっそく僕は観に行った。

運がいいことに前から2列目からの座席だった。

そこで、コンサートの途中で僕が「黒いかばん!」と言ったら「黒いかばんがなんだ!!」と言うので、「やってよ!」と言ったら、快くやってくれた。

あとで、ステージから泉谷しげるが降りてきて、僕の頭を殴っていったのだが。

 

●こんな人が、泉谷しげるのこんな曲も歌っている。

上野樹里 「黒いカバン~野良犬~泉谷しげる/春夏秋冬」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=dZaAjaqFT90


●泉谷しげる「寒い国から来た手紙」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=TPJH2qJwxQQ

「黒いかばん」を作るかたわら、こういう名曲も作るので、泉谷しげるのファンを僕はやめられないのだ。


泉谷しげるについては特集を組む予定。

 


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【2011/10/02 14:43 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●オフコース「眠れぬ夜」

●オフコース「眠れぬ夜」

小田和正・鈴木康博・地主道夫らが、神奈川県横浜市の聖光学院高校時代に結成したフォーク・グループがオフコースの始まりである。

1970年に「群衆の中で」でレコードデビュー、当初は生ギターを中心としたフォークソング的な曲を歌っていた。

その実力は当時から評価されながらも、長年ヒット曲に恵まれなかった。
 
結成7年目の1976年にギターの松尾一彦、ベースの清水仁、ドラムスの大間ジローが加わり、キーボード、シンセサイザーを含めたバンドサウンドとなる。

結成10年目の「さよなら」の大ヒットで多大なる人気を獲得、それ以降も数多くのヒット曲を生み出し、時代を代表するビッグ・グループになった。

しかし、音楽番組全盛の時代にあって、テレビ出演で人気を高めていった他のグループとは一線を画し、テレビ番組にはほとんど出演せず、レコード制作とコンサートに力を注ぐという独自の姿勢を頑なに貫いた。
 
そのシンプルで普遍的な愛の歌詞とニューミュージックと呼ばれるようになった洋楽のエッセンスを持ったポップな楽曲と美しいハーモニーのコーラスは多くの人を魅了した。

 

●オフコース「眠れぬ夜」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=954-e7h7FiI

この曲で一躍、オフコースは脚光をあびる。

僕が初めてこの曲を聴いたのは、もちろんラジオの深夜放送だ。

で、「なんてきれいなハーモニーを出すグループなんだ!」と思ったと同時に、当時、吉田拓郎、泉谷しげるという硬派路線を突っ走していた僕は、「なんていう甘っちょろい歌だ。軟弱な!」と思ったものです。

今は、もう、そんなことを思っておらず、小田さんの最近のCDはもれなく買っています。

ちなみに、小田和正さんの実家は薬局で、お兄さんは東京薬科大学の合唱部にいた。(僕の先輩にあたるわけだ。)

 

●オフコース「愛を止めないで」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=iiPyXO4ID_8

この(↑)動画を見てもらってもらっても分かるとおり、オフコースは圧倒的に女性ファンが多い。(もちろん、男性もいるよ。)

男性と女性の心理の機微をうまく歌っている。

この手の歌を唄わせたら、当時は、オフコースがダントツだった。

 

●オフコース「さよなら」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=nKqTuegks1c

この曲でオフコースは「ニューミュージックグループ」として不動の位置を確立した。

女性ファンが多いのがうなずける名曲です。

 

 

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【2011/10/02 13:18 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●西岡恭蔵「プカプカ」

●西岡恭蔵「プカプカ」

1960年代にフォークグループ“ザ・ディラン”を大塚まさじ、永井洋と結成するが、1971年頃に脱退。彼が抜けた後のザ・ディランIIのデビューアルバム『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』のレコーディングに参加。

象狂象のペンネームで作った『プカプカ』は代表曲となる。
 
1972年、吉野金次プロデュースのソロアルバム『ディランにて』でデビュー。
 
1974年、セカンドアルバム『街行き村行き』(あがた森魚・はちみつぱい・細野晴臣参加)を発表。
 
また、同年にザ・ディランの再結成に佐藤博、長田タコヤキ和承、石田長生らと参加。

同グループはアルバム『悲しみの街』(ベルウッド)を発表。『ほら貝を語る』では三上寛と思われる人物が登場している。

1999年、自宅で首を吊って自殺。享年50。

 

●西岡恭蔵「プカプカ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=qLFFzTspoXA

多くの歌手がカバーしている。

いい歌だよね。

ジャンルを超えて名曲だ。

たばことスイングジャズと男と占いが好きなこの女性は、ジャズ歌手で失踪した安田南さんだとうわさされました。

「日本をすくえコンサート'94」では泉谷しげるが歌っていた。(当然、僕は観に行った。)

このコンサートは出演者が豪華だった。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=KdoZ48XgwU8

 

●西岡恭蔵 「サーカスにはピエロが」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ZHNRs0jGwUc

フォークソングの平和な日々の懐かしい曲だ。

そうさ、サーカスにはピエロが必要さ。

 

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【2011/10/02 11:13 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
フォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●斉藤哲夫「されど私の人生」

●斉藤哲夫「されど私の人生」

アマチュア時代から、あがた森魚、野澤享司、鈴木慶一、はちみつぱいらと親交を深める。
 
URCから早川義夫プロデュースの「悩み多きものよ」でデビュー。

その後ファーストアルバム『君は英雄なんかじゃない』を発表する。

“悩み多きものよ”“されど私の人生”が URC 時代の代表的作品。

1973年CBSソニー から『バイバイ・グッドバイ・サラバイ』、1974年『グッドタイム・ミュージック』1975年『僕の古い友達』など3作品をリリース。

野澤享司のことを歌った、“野澤君”などの楽曲がある。また、その文学性の高い歌詞から若き哲学者、歌う哲学者等の愛称でも呼ばれた。

その後、キャニオンから2枚のアルバムとミニアルバム『ピカ-ピカ』をリリース。(宮崎美子が出演していたミノルタ(現コニカミノルタ)X-7の CM ソング「いまのキミはピカピカに光って」収録。)

 

●斉藤哲夫「されど私の人生」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=UCxNBcL447I

吉田拓郎も歌っている。

人生を唄った歌は数多くあるが、この曲は5本の指に入る名曲だ。

 

●斉藤哲夫「バイバイグッバイサラバイ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=64bvI2KXz0E

一般の人には全くなじみが無いと思うけれど1970年代のフォークソングに浸った人には、知る人ぞ知るフォークソングの名曲だ。

 

●斉藤哲夫「グッド・タイム・ミュージック」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QAs7pa8OE54

う~~ん、名曲だ。

音楽家のサガとリスナーの深い絆を唄った斉藤哲夫の中での一番の作品です。

 

●斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」(作詞:糸井重里、作曲・編曲:鈴木慶一)
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Z2IZPdPcYQI


「宮崎美子」と「斉藤哲夫」を一躍、世の中に踊りださせた曲。

 

●斉藤哲夫「悩み多き者よ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=t1ejH9kpE7Q

心に沁みる音楽。

青春が甦ってくる。

 

 


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【2011/10/02 05:56 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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