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時には『危機感』を持って仕事をするとモチベーションが上がる。 集中力もアップする。 でも、そういう状態をずっと維持すると、『危機感』が危機ではなく、日常になってしまって、効果が薄れる。
では、どうやってモチベーションを維持するか? それは、仕事を創造的に行うよう意識すればいい。
「アメとムチ」だけで仕事をしていると、「面白み」がない。 「別に、仕事に「面白み」は必要ない」と思っている人は、それはそれでいいけれど、つまらない人生を送っているな、と思ってしまう。
自律的に仕事をやっていると、面白みがあり、なおかつ、報酬(アメ)もくるので、こうなったら最高だよね。 組織の中で働くときは、さらに追加として「他人に対する配慮」とか「メンバーに対する感謝」というマインドも大事になってくる。 これは何も「チームワーク」を向上させるためにということではなく(もちろん、そういう目的もあるけれど)、自分が「気持ちよく」仕事をする時に必要なのだ。
だから、自分に対して「敬意」を持って接してほしい場合は、まず、自分が他者に対して「敬意」を持って接することだ。
『危機感』が全く無いというのも困ったもんだが(蛙がゆで上がるが)、危機感だけで仕事をするのはつまらない。 要は自分の気持ちの問題で、仕事が楽しくもなり、辛くもなる。 マインドの問題は難しそうでいて、実は簡単だ。(何しろ、自分のことだから。) 他人を変えることは難しいけれど、自分を変えるほうなら、なんとかなりそうだよね? お天気を変えることは不可能だけど、お天気に対する自分の気持ちはいくらでも変えられる。 と思って、仕事をしてみたらどうだろう? PR |
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新入社員も多くいると、入社して2カ月にして、既に「ライバル関係」ができている。 いいことだ。 ただし、険悪な関係にはならないでね。 ある女性の新入社員のAさんが僕に質問にくると、そのあとで、必ずBさん(女性)が、「今、Aさんはどんな質問だったのですか?」と来る。(実施率80%以上。有意差さあり。)
あくまでも、僕の経験での範囲でね。
僕も「ライバル視」されていることを感じることがある。 僕のほうからは何とも思っていないのだが、先方は「張り合っってくる」。 反応が単純で、面白いと言えば面白い。
その人がいつも「否定」から入ってくるのかと観察すると、そうでもなかったりして、僕に対する場合に限っている、というような状態だ。 分かりやすいと言えば、分かりやすいので、それはそれでやりやすい。 単純だからね。 僕としては相手の発言を「あ、それでもいいですよ」と肯定さえすればいいのだから。 ここで、僕はあまり張り合うことはない。
最近は、それさえ「お疲れ様」モードだけどね。 |
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■■■常にプロを目指す プロとしての意識を持とう。 「プロ」として認められるようには何が必要だろうか? プロと呼ばれるような高い技能を身につけるには相当の期間が必要だ。 プロとしての態度・行動・思考は、今、すぐに実践していこう。
まず、心構えでプロになる、ことから出発しよう。
「ここが自分の限界だ」と思うことは、自分で自分の可能性を否定することであり、「お楽しみ」が減る。 どんなときでも自分の能力の可能性を信じて、ぶつかっていく積極さが、仕事のプロとしての第一条件と言える。 「自分が責任を持ってできることは何か」を探す姿勢で、仕事に向かっていこう。
情熱を持って仕事に取り組もう。 「あなたの夢は?」と尋ねると、人によっていろいろな答えが返ってくる。 仕事のプロは、仕事を通じて自分がどのようになりたいか、何を成し遂げたいか、ということを他人に語ることができる人だ。 (僕は仕事を通じて自分が講師としプロになりたいと思い、ひとりでも多くのスーパーモニターの成長を助け、もって、1日でも早く新薬を世に出したい。)
技術や経験と違い、新人と言えども物事に取り組む情熱は仕事のプロと同じように持てるはずだ。 プロの仕事人になるには、自分の仕事に情熱と責任感を持って取り組む姿勢が大切なのだ。 |
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■■■『働く』があなたを変える 社会人になると「給料」が貰える。 働くということは、単に給料をもらうことだけではない。 会社で働く、ということは、自分自身の生活を豊かにするとともに、仕事を通じて、社会に貢献するということだ。
自分の仕事が、どのように社会に役だっているのかを常に意識して働くと、働き甲斐ができてくる。
仕事は単独では成り立っていない。 それぞれが助け合いながら存在している。 だから、あなたは自分の仕事に「責任」を持つ必要がある。 あなたが仕事を怠けると、社会の誰かが困るのだ。
働くことの第二の意義は社会の中で「正会員」になることだ。 今までは親や学校の先生などに依存しているが、これからは誰にも依存することなく歩かないといけない。 自立には精神的側面と経済的側面とがあり、いずれも自分自身で行わなければ本当の自立とはいえない。
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オーケストラの指揮者は練習中から、「この曲をどう解釈し、この譜面をどう表現するのか」ということを徹底的にコミュニケーションでオーケストラのメンバーに訴えてくる。 東京薬科大学のハルモニアオーケストラで言うなら、半年をかけて「ベートーヴェンの交響曲第5番を、こう演奏しよう」ということを指揮者が演奏者にせまってくる。 だから、本番当日には、それがしっかりと染み込んでいるので、実は指揮者は不要なのだ。 コンサートマスター(コンサートミストレス)さえいれば、ことたりる。(バイオリンを一番前で弾いている人ね。) コンサートマスター(コンマス・あるいはコンミス)は、それだけ、絶対的な権限を持っている。
僕が経験したのは大学2年の時の定演で『フィンランディア』(シベリウス作曲)の最後の音を指揮により1.5倍に伸ばされ、あやうく息が続かなくなるところだった。(顔が真っ赤になるまで吹いたのが、後日、写真を見て分かった。) 本番当日に、指揮者と演奏者と観衆の三者が奇跡にように一体化して、練習以上の素晴らしい演奏になる、ということがいくらでもある。 だから、練習で解釈をとことん染み込まされた、そのうえで、当日の「空気」で、指揮者の指揮が変わることが、オーケストラの演奏会の生の醍醐味なのだ。 こればかりはCDでは味わえない。 それもこれも、普段から練習を通じてオーケストラのポテンシャルを指揮者が把握しているからだ。 |
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