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オーケストラの指揮者は練習中から、「この曲をどう解釈し、この譜面をどう表現するのか」ということを徹底的にコミュニケーションでオーケストラのメンバーに訴えてくる。 東京薬科大学のハルモニアオーケストラで言うなら、半年をかけて「ベートーヴェンの交響曲第5番を、こう演奏しよう」ということを指揮者が演奏者にせまってくる。 だから、本番当日には、それがしっかりと染み込んでいるので、実は指揮者は不要なのだ。 コンサートマスター(コンサートミストレス)さえいれば、ことたりる。(バイオリンを一番前で弾いている人ね。) コンサートマスター(コンマス・あるいはコンミス)は、それだけ、絶対的な権限を持っている。
僕が経験したのは大学2年の時の定演で『フィンランディア』(シベリウス作曲)の最後の音を指揮により1.5倍に伸ばされ、あやうく息が続かなくなるところだった。(顔が真っ赤になるまで吹いたのが、後日、写真を見て分かった。) 本番当日に、指揮者と演奏者と観衆の三者が奇跡にように一体化して、練習以上の素晴らしい演奏になる、ということがいくらでもある。 だから、練習で解釈をとことん染み込まされた、そのうえで、当日の「空気」で、指揮者の指揮が変わることが、オーケストラの演奏会の生の醍醐味なのだ。 こればかりはCDでは味わえない。 それもこれも、普段から練習を通じてオーケストラのポテンシャルを指揮者が把握しているからだ。 PR |
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