× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
優秀なある上司(僕の直接の上司ではないけれど)が僕の近くにいる。 何が優秀かというと、部下に仕事を割り振るときに、必ずその仕事の「意義」を伝えて、仕事をアサインするのだ。 ただ「この本をコピーして」というのと「この本は治験で有名な中野先生の論文なので、読みやすい濃度でコピーしてね」という指示の出し方には100万光年の開きがある。 仕事を受けた立場で言わせてもらうと「ただコピーして」と言われたら、まぁ、普通にコピーする。 でも、中野先生のコピーならみんなが読みやすいようにコピーしないといけないと、自発的に注意する。
だから、リーダーやマネジャーの「言い方ひとつ」で部下が伸びたり、沈んだりする。
そこで何も言われなくても工夫してコピーをとる新入社員がいたら、それはまさに「天晴!(あっぱれ!)」だ。 (あ、そうそう。大阪の女性モニターNさんに無事に赤ちゃんが産まれて、「天晴(てんせい)」君と名前をつけたらしい。是非、天晴な人生を歩んで欲しい。)
話を戻すが、上司や先輩の指示、言葉は本人が思っている100倍は、新入社員に影響を与えていることを自覚したほうがいい。 そういう自覚を持って部下に指示を与えている上司は一体、何人いるのだろうか? もし上司に恵まれていない、と思った新入社員は、ならば、自分で工夫します!という、それぐらいの決意と気概を持つといい。 そうすれば優秀な上司の下で育った人の10倍は優秀な部下になれると思うよ。(絶対に。) PR |
![]() |
大きな目標を立てた場合(たとえば1年がかりのような)、途中、途中にマイルストーンを設けるといい。 たとえば「1年で100症例を登録する」という目標なら3か月おきに「25症例登録する」をマイルストーンにして自己評価する。 自己評価するだけでなく、上司や同僚、チームにも報告する。 組織は「実績を積んでなんぼ」なのだ。
そういう実績を積むだけでなく、途中評価すると、自分の励みにもなる。 途中で何の評価もなく、1年間、ひたすら目標を追いかけると、まるでマラソンをやっているみたいに、孤独な戦いになる。 また、途中で評価することで、自分がやっている方法が間違っていないかどうかのチェックもできる。 3か月やっても成果が出なかったら、自分のやり方を考え直したほうがいい。 6か月やっても成果が出なかったら、即刻、抜本的にやり方を見なすべきだ。
まちがった方法で頑張れば頑張るほど、間違った方向へ進むのが大きくなる。 だから、がむしゃらに頑張るだけでなく、自分で評価することが大事だ。 その時、上司は部下の成果が出ているなら、きちんと誉めること。
どうだろう、このあたりで自己評価してみるのは? |
![]() |
あるべき姿をイメージし、文章化するといい。 ところで「あるべき姿」にも2種類ある。 まずは「当然あるべき姿」という基本形があり、現状、それに追いついていない、と「そりゃ困る!」というもの。 これは早急に解決しないといけない。
これは文字通り、理想を追うものなので、1年先とか2年先、場合によっては3年後、の姿を指す。
この「あるべき姿」は「ビジョン」になるので、できるだけイメージし易いものにする。 可能ならば、図式化する。 少なくとも、文章化はする。
教育研修とは、その「あるべき姿」を達成するための1つの手段だ。 日常業務が忙しくて研修なんて受けていられない、という人もいるが、それだとステップアップが遅くなる。下手すると現状維持になってしまう。
「多忙」はどんなことに対しても口実になる。 僕が若い頃にいた会社では強制的にオフサイト(社外。研修施設やホテル)で、1泊2日の合宿の教育研修があり、それに参加せざるをえないことがあったが、それが今の僕を造ってくれている。
そこはやはり、2日間をかけて、体系だって覚えたほうが速い。
|
![]() |
人事評価の一環としてMBO(Management By Objectives :目標管理制度)を導入している企業も多いことだろう。 「MBO」という名前を使ってなくても、年度の頭で「今年度の目標」を設定し、年度の終わりで「その目標をどの程度達成できたか」を評価することにより、「賞与」とか「昇給」とか「昇格」が決まる方法を採用している会社もある。
こういう目標管理方式で最も難しくて、キモになるのが「どのような、どの程度の目標」を設定するかだ。 目標を達成できたかどうかボーナスが決まるのであれば、「簡単に達成できる目標」を設定しがちだ。 そういう弊害を防ぐために「上司」と面談の上で、その目標がレベルとして適切かどうかを決める方法をとっている企業が多い。
僕の場合、年初で決めた目標はすぐ飽きて、別の目標を勝手に決める、ということだ。 まぁ、そうは言っても、年初で決めた目標もクリアするようにはしているけれどね。
目標の設定が低いと、簡単に達成できて面白くない。 ちょっと背伸びをすれば達成できる目標(ストレッチな目標)設定が推奨されているけれど、そのもう少し上の目標で、「走ってきて、おりゃ~と思い切ってジャンプすれば達成できるかもしれない目標」(ひょっとしたら無謀な目標)を設定したほうが、達成できればそれはもう望外の喜びだが、たとえ、目標を達成できなくても、走っているときの風景とかジャンプした時の爽快感が味わえる。 仕事が面白い時って、それが達成できるかどうかなんて気にしないしね。
プロセス自体がイノベーション。 そういう仕事をしてみたいものだ。 |
![]() |
組織や会社は『将来、こういう姿になりたい』とか『当社の真の活躍している姿はこうです』というものを持っている。 それを『ビジョン』と呼んでいる。 「ビジョン」(Vision))というぐらいだから「イメージできそうな姿を言う」ということに注意したい。
「今の政権にビジョンはあるか?」という疑問を声に出してみよう。 今度はこうだ。 「今、勤めている会社のビジョンはどんな感じ?」 そして、最後にこう自問しよう。 「私の将来のビジョンは明確か?」
そもそも「ビジョン」とは「夢を形にしたもの」だ。
僕の理想(ビジョン)と今のギャップは「どんな課題にも答えられる研修プログラムを作っている(持っている)ことが必要だが、そうではない」ことだ。 まだ、僕はありとあらゆることに対応する研修プログラムを持っていない。 まぁ、そもそも「研修の限界」というのもあるだろうけれど、きっと、僕はまだ限界までは行っていない。
では、そのギャップを埋めるために僕は何をしているか? たとえば「新入社員を1日でも早く一人前にするための研修プログラムにはどんなものが必要か? それはどうやって研修するのが最も効果的か?」ということを日々、検討している、となるわけだ。
理想像が低い人もいるし、なかには理想像を持っていない人もいるだろう。 それで困ることはないが、きっと毎日がつまらなくなると思う。 逆に言うと、理想像(ビジョン)を持って生きていたいほうが楽しい。
「少年よ(少女よ)、大志を抱け」という言葉があるが、少年・少女は無鉄砲なので、放っておいても大志を抱く。 それよりも「守りに入りやすい」40歳代以降の人こそ、「大志を抱け!」と自分で自分を鼓舞しないと、ビジョンも持たなくなる。 高いビジョンを持っている人ほど、高いハードルを飛ぼうとしているし、そのハードルをクリアすれば、より大きく成長できて、人生も充実する。
|
![]() |