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「自分の荷物がどんなに重くても、日暮までななら、誰でもなんとか運ぶことができる。」 自分の仕事がどんなに辛くても、1日なら、誰でもできる。 太陽が沈むまでなら、誰でも快活に、辛抱強く、親切に、生きられる。 そして、このことこそが、人生の奥義なのだ。
「賢者にとって、今日は新しい人生だ。」 人生とは毎日、毎時間の連続の中に身をおくことだ。
「将来を考えると不安でいっぱいだ。恐ろしい災難が来るに違いない」等と思うが、自分の人生を振り返ってみると分かるが、何も起きないのだ。
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水墨画を見るとよく分かるのだが、「何を描くか?」以上に「何を描かないか?」のほうが重要だ。 あの空間が水墨画の世界を広げるのだ。
これは水墨画に限らない。 芸術は全て、何を描いているか、と同等以上に、何を描かなかったのか、が決め手となる。 僕の昔の「ホーライ製薬」のサイトを見ると分かるが、「ごちゃごちゃするほど情報を盛り込む」と、「いったい、何を言いたいかの?」となる。
アップル社の製品を購入すると、そのシンプルさとエレガンスに圧倒される。 もちろん、アップル社のサイトもシンプルだ。 ホーライ製薬と比べて欲しい(と比べるのがお門違いなのだが。)
iPodを買った人なら分かるけれど、「取扱い説明書」が無い!! 日本の携帯電話を買うと、まるで「電話帳」と同じぐらいの「トリセツ」がついている。 滅多に使わない機能を盛り込みすぎるのだ。
このインターフェースがいい。 さらに、余計なものがないのが素晴らしい。
僕の人生も「滅多に使わない機能でてんこ盛り」だ。
まず、「取り除くべきは何か?」を明確して、伝えたいことだけをシンプルに出していく。
どう? シンプルでしょう?
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「明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらう。1日の苦労は1日だけで十分だ。」 明日のことは配慮すべきだろう。 細心の注意を払って計画し、準備すべきだ。 だが、それだけでいいのだ。 心配するには及ばない。
砂時計の上には無数の砂がはいっている。 そしてそれらの砂はゆっくりと、一定の速度で中央のくびれた部分を通過していく。 この砂時計を壊さないためには、余分な手出しをせずに、砂の一粒、一粒がくびれた個所を通過するままにしておくほうがいい。 私たちはこの砂時計だ。
朝、仕事を始めるときには、その日のうちに片づけてしまわなければならないと思われるものが山ほどある。 けれども、私たちには一度にひとつのことしかできないし、砂時計の砂がくびれた部分を通るように、ゆっくりと、一定の速度で仕事を片付けるしかない。 さもないと、肉体や精神の働きが狂ってしまう。 |
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約束には、自分に対してだけのもと、他人への約束(これは同時に自分に対しても約束となる)となるものがある。 自分の約束は、大きなものとしては「自分が大切にすると決めたこと、価値観を守ること」と言ったものだ。
たとえば、会社には始業30分前には着いているとか、道でゴミを見つけたら拾うとか、通勤電車の中では英単語を勉強するとか、電車の中では他人の読んでいる新聞を読まないとか。 こうした、自分が自分に対してつくった小さな約束事は、破ったって誰もとがめない。 しかし、どんな小さな約束事でも、自分が守ろうとし、習慣化しようと決め、きちんとそれが守られるならば、自分の心が1日1日と強くなっていく。
「やっぱり、私はダメだ」というレッテルを自分の心に植えつけかねない。
口約束だって、きっちりと守ることだ。
恋愛も、仕事も、自分の夢も、幸せも、すべてが、自分から遠ざかっていってしまう。
ついには、社会の力に頼って助けてもらうしか生きる方法を持たないというようになってしまう。
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蝉の声が真夏を伝えてくれる。
セミは盛夏のシンボルだ。 都心のビル群にもセミはしっかり鳴いているが、田舎の林に入ると、猛烈な「蝉しぐれ」に出会える。
セミの鳴き声を聞くと、もう夏も盛りだな、と本能的に思う。 セミは7年間ぐらい土の中で過ごして、地上に出て1週間ぐらいで死んでしまうのが、可哀そう、という言葉もあるが、これはハッキリと言って「人間視線」だ。 セミにとっては、土の中のほうが快適で幸せなのかもしれないよ。
「苦節15年を経て、演歌舞台に登場しました」というのも一緒だ。 「苦節15年」のほうが、実は、本人にとっては幸せだったのかもしれない。 一流の舞台に出てきてしまったがために、自分が望まない仕事もしないといけなくなる。
何事も自分の視線で考えないほうがいいよね。
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