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【2025/05/01 17:50 】 |
日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●森山良子「この広い野原いっぱい」(1967年)

ご存じ、森山直太朗のお母さんにして、日本フォークの「ジョーン・バエズ」と呼ばれた女性フォークシンガーの先駆者だ。

平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成20年秋紫綬褒章受章。

「かまやつひろし」とは従兄弟関係にある。

 

澄み切って伸びる高音が美しい。


●森山良子「この広い野原いっぱい」(デビュー曲)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=NImP10RNk9g

 

●反戦歌にして叙情的な「さとうきび畑」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=zZ7Pr-ATHjk


「ざわざわざわ~~♪」

この歌をモチーフにしたテレビ番組「さとうきび畑」(明石家さんま主演)は感動の名作だった。

 

●「涙そうそう」 BGINとの合作。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bXho3NK2CDw

 


●「今日の日はさようなら」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=LQwbNrI0UVM

この曲は僕が中学2年の音楽の時代にクラス全員で合唱した。

バス遠足の中でも歌ったな。

 


●「歌ってよ夕陽の歌を」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1yoJrDtTELs

吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞の名曲。

 

この森山良子がいなかったら、ユーミンも中島みゆきもいなったかもしれない、というぐらいの存在です。

 


■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
             ↓
日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作




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【2011/09/17 10:05 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」

1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、北山修が妹の自転車で加藤を訪ねる。

その後、平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗る。

その後、受験勉強のため井村と芦田が脱退、3人組となる。

その後芦田が復帰、再び4人組で活動するが、芦田が2度目の脱退をし、またも三人組になり、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。

1967年の解散を記念して、製作費23万円で[1]自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。

300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。

プロデビューに当たっては、平沼らに代わって「はしだのりひこ」が参加する。


フォークソングをいっきに一般市民に浸透させたのが、このザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」だ。

解散を記念した作られたこの曲が、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡る。

僕も小学校からの帰り道に「おらは死んじまったダ~~~♪」とよく歌っていた。

この曲はオリコンで史上初のミリオンヒットになる。


ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=q74_DZWxxSI


この早送りの甲高い歌が、日本人に「なんて、歌なんだ!」と思ったもんだ。

日本レコード大賞の特別賞までもらった。


解散が決まっていたザ・フォーク・クルセダーズが、この曲の大ヒットにより、メジャーデビューし、数々の名曲を世に出す。


●『あの素晴しい愛をもう一度』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo


加藤和彦の懐かしい姿。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QU37WHOkSPc


多くの歌手によるカバーがある。

誰もが知っている青春のほろ苦さをたたえた不朽の名作だ。

僕の高校3年生の時のクラスの応援歌として教室でよく全員で歌った。

 

●『悲しくてやりきれない』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hfzxpHnIRis


のちの吉田拓郎の名作「どうしてこんなに悲しいんだろう」につながる哀愁の名作だ。

 

ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの「北山修」は今は精神科医になっている。

加藤和彦は自殺をし(2009年10月17日)、衝撃を僕たちに残した。

その他にこのザ・フォーク・クルセダーズからは、「はしだのりひこ」が「はしだのりひことシューベルツ」としてデビューし、『風』を大ヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4UaiSsD6ByM

さらに、はしだは、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、『花嫁』をヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=xHnDiCxPEa0

 

このザ・フォーク・クルセダーズの頃から「関西フォーク」という言葉が使われ始めた。

 

■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作
 

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【2011/09/17 07:48 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●小室等と六文銭「雨が空から降れば」「出発の歌」

小室等。

日本のフォーク界の重鎮にして良心。


六文銭
 
初期:主なメンバーに、 岩沢幸矢、石川鷹彦、入川捷、小室のり子がいた。

バンド名は「四谷3丁目で目に付いた居酒屋の名」を採ったと岩沢幸矢が書いている。

その後、別役実の芝居などに楽団「六文銭」として参加。

この時期には歌手・役者など様々なメンバーが出入りしたという。

中川五郎とのカップリングのインディーズアルバム『六文銭/中川五郎』でURCからデビュー。

最盛期:主なメンバーに、及川恒平、四角佳子、原茂、橋本良一がいた。

『キングサーモンのいる島』をベルウッドレコードからリリース。

『サーカスゲーム』や上條恒彦と六文銭が歌った『出発の歌』(たびだちのうた)がヒットした。その1年後に解散。

 

四角佳子は吉田拓郎の一人目の奥さん。

吉田拓郎が四角佳子と結婚する時に作った歌が「結婚しようよ」。

のちに吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水らと小室等はレコード会社「フォーライフ」を設立し、初代社長になる。

小室等は拓郎とお酒を飲むと、最後はいつも「じゃ、拓郎、なんで戦争はあるんだ!?」と、戦争の話しになると、拓郎がラジオで愚痴っていた。

 

小室等と六文銭の代表曲。

●「雨が空から降れば」(1971年)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bF0R6SBG174

シナリオ作家の別役実の詩に小室等が曲をつけた、フォーク史上に残る名作だ。

 

●上條恒彦と六文銭『出発の歌』(1971年)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=UZiRcFX8ezU


ヤマハ音楽振興会主催の「合歓ポピュラーフェスティバル'71」でグランプリを受賞した。
一般の人の間にフォークソングというジャンルが知られる前に、一躍、最前線に出た曲だ。
男性シャツのCM等にも使われた。

 

●小室等の名作「いま生きているということ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bkFz3tjUuDs


詩人、谷川俊太郎の詩に小室等が曲をつけた。
僕は、何度も、この曲に命を救われた。

谷川俊太郎との合作は他にも「お早うの朝」がある。


●「お早うの朝」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=_tO9hK6ucEk


●他の歌手に提供した曲の中にも名作がある。

『俺たちの朝』(松崎しげる)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=LW8iPIs9Wyg

 

■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作


 

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【2011/09/17 06:01 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
日本のフォークソングの歴史●マイク真木の「バラが咲いた」から五つの赤い風船の「遠い世界に」まで

●僕(1960年生まれ)の記憶の中で一番最初に「フォークソング」として残っているのが「マイク真木」の「バラが咲いた」だ(1966年)。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hNHlyGgcpdM

「バラが咲いた」はひたすら「バラが咲いた」ことを唄う。

何のメッセージ性もなく、ほのぼのした平和な歌だ。

 


●僕のリアルの記憶には無いけれど、のちに知ったこととして、 雪村いづみの「花はどこへ行った」というアメリカのフォークソングのカバーを出していた。
1963年。ビートルズが来日した年だ。(YouTubeには残念ながら雪村いづみの曲は無かった。)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=KqrI0igP6oI

 


●1966年、「五つの赤い風船」が活動開始。「関西フォーク」のはしりだ。

リーダーの西岡たかしの曲の間の「しゃべり」が絶妙で笑わせるライブをやっていた。

代表作は「遠い世界に」。

これは今では中学校の音楽の教科書にのっている。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=6hCoQwRrzHM

 

「五つの赤い風船」はメッセージソング、反戦歌も多い。

「血まみれの鳩」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=JelusdJd3Qo

 

「まぼろしのつばさと共に」も反戦歌だ。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Yu4NXY3ynng

 

若者への応援歌もある「これがボクらの道なのか」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=345EoyA2ptc

 


■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
             ↓
日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

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【2011/09/16 20:25 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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