× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
ご存じ、森山直太朗のお母さんにして、日本フォークの「ジョーン・バエズ」と呼ばれた女性フォークシンガーの先駆者だ。 平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成20年秋紫綬褒章受章。 「かまやつひろし」とは従兄弟関係にある。
澄み切って伸びる高音が美しい。
●反戦歌にして叙情的な「さとうきび畑」
この歌をモチーフにしたテレビ番組「さとうきび畑」(明石家さんま主演)は感動の名作だった。
●「涙そうそう」 BGINとの合作。
この曲は僕が中学2年の音楽の時代にクラス全員で合唱した。 バス遠足の中でも歌ったな。
吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞の名曲。
この森山良子がいなかったら、ユーミンも中島みゆきもいなったかもしれない、というぐらいの存在です。
|
![]() |
1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、北山修が妹の自転車で加藤を訪ねる。 その後、平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗る。 その後、受験勉強のため井村と芦田が脱退、3人組となる。 その後芦田が復帰、再び4人組で活動するが、芦田が2度目の脱退をし、またも三人組になり、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。 1967年の解散を記念して、製作費23万円で[1]自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。 300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。 プロデビューに当たっては、平沼らに代わって「はしだのりひこ」が参加する。
解散を記念した作られたこの曲が、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡る。 僕も小学校からの帰り道に「おらは死んじまったダ~~~♪」とよく歌っていた。 この曲はオリコンで史上初のミリオンヒットになる。
日本レコード大賞の特別賞までもらった。
誰もが知っている青春のほろ苦さをたたえた不朽の名作だ。 僕の高校3年生の時のクラスの応援歌として教室でよく全員で歌った。
●『悲しくてやりきれない』
ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの「北山修」は今は精神科医になっている。 加藤和彦は自殺をし(2009年10月17日)、衝撃を僕たちに残した。
その他にこのザ・フォーク・クルセダーズからは、「はしだのりひこ」が「はしだのりひことシューベルツ」としてデビューし、『風』を大ヒットさせる。
さらに、はしだは、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、『花嫁』をヒットさせる。
このザ・フォーク・クルセダーズの頃から「関西フォーク」という言葉が使われ始めた。
■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■ |
![]() |
小室等。 日本のフォーク界の重鎮にして良心。
バンド名は「四谷3丁目で目に付いた居酒屋の名」を採ったと岩沢幸矢が書いている。 その後、別役実の芝居などに楽団「六文銭」として参加。 この時期には歌手・役者など様々なメンバーが出入りしたという。 中川五郎とのカップリングのインディーズアルバム『六文銭/中川五郎』でURCからデビュー。 最盛期:主なメンバーに、及川恒平、四角佳子、原茂、橋本良一がいた。 『キングサーモンのいる島』をベルウッドレコードからリリース。 『サーカスゲーム』や上條恒彦と六文銭が歌った『出発の歌』(たびだちのうた)がヒットした。その1年後に解散。
四角佳子は吉田拓郎の一人目の奥さん。 吉田拓郎が四角佳子と結婚する時に作った歌が「結婚しようよ」。 のちに吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水らと小室等はレコード会社「フォーライフ」を設立し、初代社長になる。 小室等は拓郎とお酒を飲むと、最後はいつも「じゃ、拓郎、なんで戦争はあるんだ!?」と、戦争の話しになると、拓郎がラジオで愚痴っていた。
小室等と六文銭の代表曲。
●「雨が空から降れば」(1971年) シナリオ作家の別役実の詩に小室等が曲をつけた、フォーク史上に残る名作だ。
●上條恒彦と六文銭『出発の歌』(1971年)
●小室等の名作「いま生きているということ」
谷川俊太郎との合作は他にも「お早うの朝」がある。
『俺たちの朝』(松崎しげる)
■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■ |
![]() |
●僕(1960年生まれ)の記憶の中で一番最初に「フォークソング」として残っているのが「マイク真木」の「バラが咲いた」だ(1966年)。 「バラが咲いた」はひたすら「バラが咲いた」ことを唄う。 何のメッセージ性もなく、ほのぼのした平和な歌だ。
リーダーの西岡たかしの曲の間の「しゃべり」が絶妙で笑わせるライブをやっていた。 代表作は「遠い世界に」。
これは今では中学校の音楽の教科書にのっている。
「五つの赤い風船」はメッセージソング、反戦歌も多い。
「血まみれの鳩」
「まぼろしのつばさと共に」も反戦歌だ。
若者への応援歌もある「これがボクらの道なのか」
|
![]() |