お勧めのビジネス本(ブログ) お勧めのビジネス書(サイト) お勧めのTOEIC問題集・攻略法
日刊GCPメルマガ 週刊GCPメルマガ 医薬品ができるまで
ホーライ製薬(ブログ)/(サイト版) GCP解説(サイト版)(ブログ版) ホーライ社長の独り言
GCPガイダンス(条文別) 治験に関する通知集 治験のホームページ
治験とは 治験リンク集 モニターへの道
ホーライ製薬のfacebook ホーライのツイッター 塚田 淳彦 facebook
ワンダーランド日記 3日でできる自己啓発 3秒で分かるビジネススキル
TOEIC攻略法、TOEIC勉強方法 治験・臨床試験等のニュース 医学知識等(ブログ版) ●サイト版
仕事のコツ(超シンプル) 仕事ができる人に成る方法 GCPメルガマのバックナンバー
成長する方法 お勧めの音楽 成功哲学・成功原則 
仕事の達人になる方法(上級編) 元気が出るヒント GCPの解説 / GCPの問題集
仕事の達人になる方法(仕事のコツ集) 人生と仕事の成功法則 やる気が出るヒント
もっと見たい!という奇特な人はここをクリック!(日々増殖するリンク集)別ウィンドウで開きます。

今日は何が更新されているのかな?
  


忍者ブログ
  • 2025.03
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2025.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/04/20 02:44 】 |
日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」

1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、北山修が妹の自転車で加藤を訪ねる。

その後、平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗る。

その後、受験勉強のため井村と芦田が脱退、3人組となる。

その後芦田が復帰、再び4人組で活動するが、芦田が2度目の脱退をし、またも三人組になり、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。

1967年の解散を記念して、製作費23万円で[1]自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。

300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。

プロデビューに当たっては、平沼らに代わって「はしだのりひこ」が参加する。


フォークソングをいっきに一般市民に浸透させたのが、このザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」だ。

解散を記念した作られたこの曲が、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡る。

僕も小学校からの帰り道に「おらは死んじまったダ~~~♪」とよく歌っていた。

この曲はオリコンで史上初のミリオンヒットになる。


ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=q74_DZWxxSI


この早送りの甲高い歌が、日本人に「なんて、歌なんだ!」と思ったもんだ。

日本レコード大賞の特別賞までもらった。


解散が決まっていたザ・フォーク・クルセダーズが、この曲の大ヒットにより、メジャーデビューし、数々の名曲を世に出す。


●『あの素晴しい愛をもう一度』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo


加藤和彦の懐かしい姿。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QU37WHOkSPc


多くの歌手によるカバーがある。

誰もが知っている青春のほろ苦さをたたえた不朽の名作だ。

僕の高校3年生の時のクラスの応援歌として教室でよく全員で歌った。

 

●『悲しくてやりきれない』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hfzxpHnIRis


のちの吉田拓郎の名作「どうしてこんなに悲しいんだろう」につながる哀愁の名作だ。

 

ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの「北山修」は今は精神科医になっている。

加藤和彦は自殺をし(2009年10月17日)、衝撃を僕たちに残した。

その他にこのザ・フォーク・クルセダーズからは、「はしだのりひこ」が「はしだのりひことシューベルツ」としてデビューし、『風』を大ヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4UaiSsD6ByM

さらに、はしだは、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、『花嫁』をヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=xHnDiCxPEa0

 

このザ・フォーク・クルセダーズの頃から「関西フォーク」という言葉が使われ始めた。

 

■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
             ↓ ●
日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作
 

拍手[0回]

PR
【2011/09/17 07:48 】 | フォークソングの歴史 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●森山良子「この広い野原いっぱい」(1967年) | ホーム | 日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●小室等と六文銭「雨が空から降れば」「出発の歌」>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














虎カムバック
トラックバックURL

<<前ページ | ホーム | 次ページ>>