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サザンオールスターズ名曲集【3】●アルバム「10ナンバーズ・からっと」
「いとしのエリー」発売直後に発売されたアルバムである。シングルカットとなる「思い過ごしも恋のうち」も収録。 同バンドはオケを録り終えてから歌詞を考えるという順番で楽曲を作っているが、当時はとにかく忙しく締め切りに間に合わなかった結果、シングルになった以外の曲は桑田の下書き段階のものをそのまま掲載し、全く歌詞ができていなかった3曲は記号になった。
間奏中にはDJのウルフマン・ジャックの物まねをした桑田の語りが収録されている。
●2.奥歯を食いしばれ ※ 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ 本作にのみ収録。パーカッションが前面に打ち出された曲である。
●3.ラチエン通りのシスター 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ
ラチエン通りは茅ヶ崎に実在する通りの名前。
●4.思い過ごしも恋のうち 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/弦管編曲:新田一郎
枚目のシングルとしてシングルカットされた。
●5.アブダ・カ・ダブラ (TYPE 1) 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ この曲のラストには飛行機の飛行音が収録されており、この音がTYPE 2に、ひいてはB面に繋がるようになっている。
枚目のシングル。
LION「ザクトライオン」のCMソングになった。
「思い過ごしも恋のうち」のB面曲として同曲と同様にシングルカット。歌詞は男の同性愛らしき事を歌っている箇所がある。
3枚目のシングル。後にレイ・チャールズも全英語詞でカバーした。
●【アマゾン】「海のYeah!!」(サザンオールスターズ)
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●2.気分しだいで責めないで(1978年)
デビュー曲「勝手にシンドバッド」のいきなりのヒットに続いて発売された。
オリコンチャートで1位は獲得していないが、1992年の『シュラバ★ラ★バンバ』『涙のキッス』まで、サザン歴代トップの売り上げだった。
もともと3rdシングルの予定で製作されていたこともあり、「勝手にシンドバッド」や「気分しだいで責めないで」と似たような曲調である。
サザンオールスターズの1979年を締めくくる作品。
本作からFIVE ROCK SHOWと打ち出し、シングルを5か月連続で1枚ずつリリースする企画がスタートした。
横浜をモチーフにしており、歌詞の中には横浜周辺の地名や横浜を連想するキーワードなどがちりばめられている。
■■日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作■■
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サザンオールスターズ名曲集●サザンオールスターズ:アルバム「熱い胸さわぎ」
デビューシングル。 この曲から、サザン伝説が始まる 「胸騒ぎの腰つき」って、そんな歌詞もあり? と当時は思ったものだ。
●2.別れ話は最後に 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum
デビュー曲候補であり、当初メンバーはこの曲をデビュー曲としたかったが、スタッフの意向でインパクトのある『勝手にシンドバッド』でのデビューとなった。 曲はボサノバ調であり、アマチュア時代の曲名は「ボサノバ69」であった。 『桑田佳祐の音楽寅さん ~?MUSIC TIGER~?』(第2期)のライヴ企画では、アンコール曲として演奏されることが多い(地上波では放送されず、DVD版のみ収録)。
●3.当って砕けろ 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum 枚目のシングル「勝手にシンドバッド」のB面曲。 歌詞では熊本民謡「おてもやん」の一節「あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな」を転用している。 この頃から「おもろい路線」を用意していたサザンオールスターズである。
曲は8分の6拍子のバラードである。 「渚もの」シリーズだ。
●5.茅ヶ崎に背を向けて 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum 桑田と原由子のデュエット曲。 「はらぼう」の歌のうまさがこの頃から、光っている。
●6.瞳の中にレインボウ 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ 再発のCD盤の帯部分などでは、この曲のタイトルが「瞳の中のレインボウ」、「瞳の中にレインボー」と誤記でクレジットされてしまっている。 曲のタイトルはレオンラッセルの同名曲からの引用。 曲の後半はスローブルースとなっており、同バンドが初めてブルースを採用した曲である。
メジャーデビューのきっかけとなったヤマハEast West'77に出場した際演奏された曲。 原がイントロのピアノを緊張によって過去最速のスピードで弾いてしまったという逸話がある。 このEast West'77でも音源はレコード化されており、現在唯一の同バンドのアマチュア音源と言えるが、入手は非常に困難である。 また、未だに途中の歌詞があやふやであることから「永遠の未完曲」とも言われ、桑田自身も2003年のフジテレビ系『桑田佳祐の音楽寅さん ~?MUSIC TIGER~?』内で「まだ出来てない」と語っている。 歌詞中にも歌詞カードの記載と歌唱が一部異なっており、これは現在公式サイトや最後に収録された作品である1995年の『HAPPY!』でも修正されていない。 2004年のライブ、『サザンオールスターズ真夏の夜の生ライブ~海の日SP~』『年越しライブ2004-2005 「暮れのサナカ」』では、上記の歌詞を野沢がシャウトしている(酉年であったことから2度目はニワトリの鳴き声)。 う~~ん、こんな歌詞を歌にしてしまうなんて・・・・・・・
●8.レゲエに首ったけ 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum タイトル通りレゲエをテーマにした曲調。 タイトルや曲調でレゲエ色を前面に打ち出した曲は、アルバム「NUDE MAN」の「来いなジャマイカ」を除いて、この後ほとんど発表されていない。
●9.いとしのフィート 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum タイトルのフィートはリトル・フィートから取ったものである。 曲調はリトル・フィートのオマージュだが、歌詞は全く関係なく、1人で過ごす大晦日からお正月の寂しさを歌っている。 歌詞の内容から、年越しライブの年明け1曲目で度々歌われている。
●10.今宵あなたに 作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:Horn Spectrum 歌詞に登場する“天ぷら屋”とは、メンバーの原由子の実家が家業としている、横浜・関内の天ぷら料理店「天吉」のこと。 また歌詞中に登場するフレーズ「素肌負けないで」は、1976年の資生堂のキャンペーンのキャッチフレーズから引用している。
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●サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」 ハッキリ言って、サザンは「フォークではない」と言われるだろうが、僕にとっては「最後のフォークバンド」という印象だ。 もちろん、そんなジャンルにこだわらずに活躍しているサザンが好きだ。
1975年頃、青山学院大学で活動が始まり、音楽サークル“Better Days”(ベター・デイズ)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される。 幾度かのメンバーチェンジの後、1977年にアマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest '77」に出場し桑田がベストボーカル賞を獲得。 この頃には青学生ではなかった松田弘・野沢秀行も加わり、メンバーはデビュー時の6人に固まった。 当初は独特かつ奇抜なその音楽性が敬遠され大手の事務所はサザンを敬遠していたが、当時新興事務所であったアミューズの大里洋吉社長(当時)が「フォークソングの時代は終わり、これからはロックの時代が来る」という判断の下でスカウトしたが、メンバーの大里に対する第一印象はあまり良いものではなかったという。 また大森と大里がデビューにむけて着々と準備を進めるなか、焦ったためか桑田がワーナー・パイオニアとレコード契約を結んでしまったというエピソードもあるが、この件は関係者が出向いて話を収めたという。
事務所側はこのデビューに際し、フォークシンガーを中心に「テレビ出演の拒否」をする風潮が強い中あえて音楽番組に積極的に出演させるほか、ドラマ・CM等のタイアップを中心にお茶の間層の取り込みを狙う戦略を取った。
この精神状態の中から生まれたのが2ndシングル「気分しだいで責めないで」であった。
この曲の発表で「本格派の音楽バンド」という評価を受け始めるようになり、その人気を確実なものにした。
桑田曰く「グループ・サウンズのパロディ」であったり、当時人気絶頂であった田原俊彦の声色を意識して歌ったりと起死回生を賭けた開き直りの歌謡曲だった。
この直後桑田と原は結婚を発表し、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』などでも祝福され、結婚式にはファンを呼ぶなど公私共に祝事が続いた。 数回の発売延期を重ねつつも長期間のレコーディングセッションの中で生まれたこの濃密なアルバムには、サザン史上最高のアルバムだという声もある。 佐野元春から声がかかり「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演した。 同製作時期に原が産休に入り、サザンとしての活動もひとつの頂点に達してしまったため一旦活動を休止。 桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、他のメンバーもそれぞれソロ活動に入った。
1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31thシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。
「涙のキッス」はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した。 そんな中1994年には桑田がソロ活動を再開し、サザンの活動は約1年間休止となった。
1999年9月26日・27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。 桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ「可愛いミーナ」の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。 翌2000年1月26日に44thシングル「TSUNAMI」を発売。 この曲は前述のイベントから生まれた曲であり「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。
以降サザンはある程度保守的な方向性へとシフトチェンジしていく。 かねて何度も逃した日本レコード大賞もこの年に獲得した。
今作を機にサザンは長らく続いたセールス低迷から脱け出し、続く45thシングル「HOTEL PACIFIC」もヒットし、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間の野外ライブ『茅ヶ崎ライブ ~あなただけの茅ヶ崎~』を行った。 その前後から桑田らは再びソロ活動を開始。桑田はシングル「波乗りジョニー」「白い恋人達」がそれぞれミリオンセラーを達成した。
2008年、30周年に伴う53thシングル「I AM YOUR SINGER」の発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、2009年以降メンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべくサザンオールスターズとしての活動を無期限休止にすることも発表した(2006年のTHE 夢人島 Fes.を最後に実質的にサザンとしての活動は行われていなかったものの、この間を活動休止期間と定めていない)。
期限を設けない活動休止は原の出産・KUWATA BANDの活動などがあった1985年 - 1986年(活動休止は1988年夏まで)以来2回目のことである。 桑田自身は『活動休止の理由はより新しいものをつくるための充電期間』としている。 また、『(キラーストリートで)現状でのサザンでできることのほぼすべてをやりつくした』『今のままでも活動を続けようと思えばできるが、それではサザンという看板にぶらさがっているだけで、甘えているだけになってしまう』とも語り、『(サザンの)解散は絶対にない』と断言している。
●サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」 凄い早口で、なんじゃ、コレ? って感じだったな。 でも、軽快なテンポにちょっとエロチックな歌詞が若い僕にも受けたよ。 まさか、30年もつきあうとは思わなかった。 本当を言えば、一発屋かと思った。
この「いとしのエリー」を聴いた時、「このバンド、ここが勝負だな。これがヒットすれば、長続きするだろうな」と思った。 「勝手にシンドバッド」とか一転、スローバラード。 しかし、ファンはついてきた。 この「エロチック」→「バラード」というパターンはその後のサザンオールスターズの戦略になった。
●サザンオールスターズ「真夏の果実」 これまた、今や「夏の歌と言えば?」というアンケートでは必ず上位(大体、一位だ)になるバラード。 「夏はサザン」というイメージを植え付けた名曲だ。
摩訶不思議な言葉と韻を踏んだ歌詞、それにのっかるメロディーというサザンワールド(と言うか、桑田ワールド)の代表曲。 歌われている世界も、人間界と妖怪界を結ぶような魑魅魍魎の世界。 こんな歌、サザン以外に考えられない。
日本ポップス界最大のヒット曲。 夏、海、恋、女・・・日本の歌謡曲でさんざん取り上げれたテーマをどうアレンジしたら、これだけのヒットになるのか? 奇跡的な曲だ。 明石家さんま曰く「好きなのに、泣いたのは何故?・・・・・桑田は天才や。くやしいなぁ」
■■日本のフォークソングの歴史、フォークソングの名曲、昭和のフォーク、フォークソングの名作■■
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●松任谷由美(荒井由美)「ひこうき雲」 ユーミンファンには怒られるかもしれないけれど、僕の中ではユーミンも「フォークシンガー」だ。 ただ、彼女の出現頃から「ニューミュージック」という言葉も使われていた。
初めは作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。 同シングルは300枚しか売れず、後に幻のデビューシングルと呼ばれるようになる。
1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。
さらにこの年には、年間アルバム売り上げチャートTOP10に、旧譜を含む3枚のアルバムがランクインするという快挙を成し遂げた。 初期の頃の「ニューミュージック」は楽曲的にはフォークソングの系譜を受けつぎながらも、詞に関しては従来型の「四畳半フォーク」等と揶揄されていたほど生活観や生々しい恋愛描写に満ち溢れていたものであったのに対し、彼女の作品はそうした生活観を直接的にさらけ出した表現を避け、叙情を重視した詩的な歌詞であった為に話題を呼んだ。 また歌詞に東京近郊の名所を盛り込むなど都会的なセンスを兼ね備えていた点も評価されていた。
本人には引退する考えもあったようだが、結婚後も途切れず音楽活動を続行。
その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得、1988年のアルバム『Delight Slight Light KISS』以降は8枚連続のミリオンセラーを連発。
1996年、旧姓荒井由実の名で活動を行う。セルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。 また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。 このライブアルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数ヶ月遅れた。 これ以降、日本の恒例行事とまで呼ばれたサイクル(冬のアルバム発売~夏までツアー)が若干緩やかになったが、「カリスマはもういい。これからは好きな音楽をやる」と宣言した彼女は、以後も精力的に作品を制作。 ステージはますます大掛かりになり、1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートした制作費50億円のコンサート『シャングリラ』を開催。
前代未聞の興行として話題になる。同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。 また、松任谷正隆は『ひこうき雲』からの全アルバムをリミックスしたいと発言。 5.1chサラウンドにも対応し、よりマスター音源に近づけることが可能なBlu-ray Audioにも興味を示している。
●荒井由美「ひこうき雲」 高校時代のガールフレンドと喫茶店にいた時に、この曲がかかり、途中からガールフレンドが泣き始めた、という思い出がある。 荒井由美を世間に知らしめた初期を代表する名曲。 こんな世界を歌にする人は、当時、ユーミンしかいなかった。
●荒井由美「あの日に帰りたい」 この曲を聴くと、所謂「フォークソング」と一線を画するような気もするが、歌詞をよく聴くと、やっぱり「フォークソング」だなと(僕には)思えた。
●松任谷由美「春よ来い」 懐かしい言葉とメロディでありながら、斬新なシーンを想像させる名曲だ。 NHKの朝の連ドラの主題歌だった。 優しさに溢れた歌だ。
女性の母性本能を歌にしたら、こんな感じになるんだろうな、と思わせる曲。 ユーミンワールドだね。
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