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●松任谷由美(荒井由美)「ひこうき雲」 ユーミンファンには怒られるかもしれないけれど、僕の中ではユーミンも「フォークシンガー」だ。 ただ、彼女の出現頃から「ニューミュージック」という言葉も使われていた。
初めは作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。 同シングルは300枚しか売れず、後に幻のデビューシングルと呼ばれるようになる。
1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。
さらにこの年には、年間アルバム売り上げチャートTOP10に、旧譜を含む3枚のアルバムがランクインするという快挙を成し遂げた。 初期の頃の「ニューミュージック」は楽曲的にはフォークソングの系譜を受けつぎながらも、詞に関しては従来型の「四畳半フォーク」等と揶揄されていたほど生活観や生々しい恋愛描写に満ち溢れていたものであったのに対し、彼女の作品はそうした生活観を直接的にさらけ出した表現を避け、叙情を重視した詩的な歌詞であった為に話題を呼んだ。 また歌詞に東京近郊の名所を盛り込むなど都会的なセンスを兼ね備えていた点も評価されていた。
本人には引退する考えもあったようだが、結婚後も途切れず音楽活動を続行。
その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得、1988年のアルバム『Delight Slight Light KISS』以降は8枚連続のミリオンセラーを連発。
1996年、旧姓荒井由実の名で活動を行う。セルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。 また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。 このライブアルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数ヶ月遅れた。 これ以降、日本の恒例行事とまで呼ばれたサイクル(冬のアルバム発売~夏までツアー)が若干緩やかになったが、「カリスマはもういい。これからは好きな音楽をやる」と宣言した彼女は、以後も精力的に作品を制作。 ステージはますます大掛かりになり、1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートした制作費50億円のコンサート『シャングリラ』を開催。
前代未聞の興行として話題になる。同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。 また、松任谷正隆は『ひこうき雲』からの全アルバムをリミックスしたいと発言。 5.1chサラウンドにも対応し、よりマスター音源に近づけることが可能なBlu-ray Audioにも興味を示している。
●荒井由美「ひこうき雲」 高校時代のガールフレンドと喫茶店にいた時に、この曲がかかり、途中からガールフレンドが泣き始めた、という思い出がある。 荒井由美を世間に知らしめた初期を代表する名曲。 こんな世界を歌にする人は、当時、ユーミンしかいなかった。
●荒井由美「あの日に帰りたい」 この曲を聴くと、所謂「フォークソング」と一線を画するような気もするが、歌詞をよく聴くと、やっぱり「フォークソング」だなと(僕には)思えた。
●松任谷由美「春よ来い」 懐かしい言葉とメロディでありながら、斬新なシーンを想像させる名曲だ。 NHKの朝の連ドラの主題歌だった。 優しさに溢れた歌だ。
女性の母性本能を歌にしたら、こんな感じになるんだろうな、と思わせる曲。 ユーミンワールドだね。
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