× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
ここであなたに、次の点だけははっきりさせておきたい。 あなたは、これまでどおりの生活を死ぬまで続けていく必要などないのだ。 平凡でありきたりの生き方に甘んじることもないし、他人から失意と絶望を味わされつつ一生を過ごしていく必要もない。
それは自分自身だ。 この人生で勝利を収めたいなら、そこから始めるしかない。 自分自身を信じるところから第一歩を踏み出すしか、道はないのだ。
自分が他人とは違う人間であり、すぐれた資質や能力に恵まれているのだと信じられれば、それは人生を生きるうえできわめて大きな支えとなるに違いない。 実り多い人生を望むなら、子ども時代にそうだったように、もう一度、自分を信じてみる必要があるだろう。 本気で人生を変えたいと望むなら、その自信は回復できるはずだし、まだ、そうすることが絶対に不可欠なのだ。
PR |
![]() |
誰もが一流の人間になりたがっている。 これは人生の真実だ。 誰だって「ひとかど」の人物になりたいという望みを持って生まれてくる。 身分がどうであれ、出身がどこであれ、私たちは心の奥深くで「自分は特別な人間だ」「ほかの連中とは違うのだ」と信じないではいられない。 人は誰でも、そんな気持ちをいただいて育ってきたはずだ。
若いときには、考えつく限り、最高の夢を自由気ままに描くことができる。 前途にひそむ障害については何も知らず、ただ自分の望みにばかり目を向けている。 目の前に大きな門が開かれていて、そこをくぐりさえすれば夢は実現するというわけだ。 これも無理のない話だ。 結局のところ、若い世代にとって人生とは、サクランボが山ほど盛られた皿のようなものなのだ。 それを十分に謳歌することが、その後の人生を左右する。
人は誰でも、若い一時期、人生の醍醐味と素晴らしさを味わった経験があるはずだ。 ところが、その後はいったい、どうなってしまうのだろう?
これほどまで多くの人が人生に幻滅を感じるのは、いったいなぜだろう? それは簡単な話である。 高校や大学を卒業したとたんに、世間という悪意に満ちた大きな手で、横面をピシャリと張り飛ばされるからだ。 将来を約束されて会社にはいってはみたものの、なかなか思うとおりにはいかない。 フラストレーションはたまるばかりだ。 こうなる人とは、自分の人生にまだ選択の余地が十分残されているなどとは信じられず、むしろ現実をそのまま受け入れて、人生が分け与えてくれるものをありがたく頂戴しようという姿勢を身につけていく。 そして、月並みでありきたりの生活に甘んじ、人生を流されるままに生きていくようになる。 こういうなりゆきが、私には手に取るようにわかる。 何故なら、私自身がこれまでの人生でそれを経験してきたからだ。
|
![]() |
子どもの頃に受けた評価に左右されない。 「自分は無価値な人間だ」と思っている人があまりにも多い。 しかも、自分がそう思っていることに気づかないことも多いのだ。 しかし、自分で気づいているかどうかは関係なく、そのような考えは自分自身を害するものである。
権威者は私たちよりたいてい大きく、強くて、賢かったので、私たちは「彼らを信じることが自分の最大の利益になる」と思い、実際にそうした。 しかし、残念ながら、一部の権威者は自尊心が低く、「自分は無価値な人間だ」と思っていた。 一般に、人間の言動は、その人の自尊心の度合いに左右される。 権威者は、自分が子どものころに言われたのと同じことをあなたにも言ったにすぎない。 さぁ、ここではっきりさせておこう。 彼らのネガティブな意見は彼ら自身に向けられたものであって、あなたとは何の関係もないのだ。 いつまでもそれに引きずられている必要はない。
地球上のすべての人は、平等に価値のある存在である。 自尊心を高めれば、それが真理であることがわかるはずだ。 その気になれば、このテーマに関する多くの本がある。 それを読むことは最も重要な一歩となるだろう。
「自分は無価値な人間だ」というのは、子どものころに植えつけられた根拠のない思い込みにすぎない。
|
![]() |
自尊心を高めることは誰にとっても大切なことだ。 ところが多くの人は、自尊心について誤解している。 ここで、自尊心について簡単に説明しておこう。 1)人々は「自尊心を持つことは傲慢やうぬぼれにつながる」と考えている。 しかし、それは違う。 自尊心の高い人は傲慢やうぬぼれとは無縁である。 いっぽう、他の人が傲慢であったりうぬぼれていたりしても平気である。
「自己中心的である」ということと「自尊心が高い」ということは正反対なのだ。 自己中心的な人は称賛を求めるが、自尊心の高い人は称賛を求めない。 自分の価値を信じているから、他人からの賞賛など必要としていない。
自尊心の高い人はけっして威張ったりせず、誰に対しても敬意を持って接する。
だからこそ、自尊心を高めることは、最も重要なことの一つなのだ。 人は、自分の価値を信じて自分のことを好きになればなるほど、ますます幸せを感じるようになる。
自尊心とは傲慢になることではなく、自分の価値を信じることだ。 自尊心を高めれば幸福感が増す。
|
![]() |
問題を先送りしていては永遠に解決することは一つもない やるべきときは「いま」しかない。 パーソナルイニシアティブとは、いわば「やってみよう」という自発的な欲求に基づく行動力を指す。 覚えておいてほしいのは、行動しなければ、決して自分の欲するものを手にすることはできないということだ。 ある日突然幸運が舞い込んでくるなど、そうあるものではない。 ただまわりに流されて待っているだけでは、夢を実現させ成功を手にするのは不可能である。 欲しいものがあるなら、まず行動することだ。
まず、何かをしようという意欲に欠けている人。 これは論外である。 目標を見つけるところから始めなければならない。
失敗を恐れるあまり結果についてあれこれ思いを巡らせたり、まわりの人から意見を聞き、情報を集めてから行動の是非を判断をしようとする。 良く言えば慎重なタイプだ。 慎重であることは大切なことだ。 確かに行動前にリスクを予測し、あらかじめ適切な対応を準備することは非常に重要な作業だ。 けれども、だからといって完全にリスクを消し去ることは不可能だと知る必要がある。 リスクを恐れていては、いつまでたっても前へ進めない。
「何も変えないことが最も悪いことだと思って欲しい」。 トヨタ自動車社長就任の際、奥田氏はそう語った。 企業にとって、何も変えず新たな行動を起こさないことは、停滞どころか後退を意味する。
しかし、慎重さと決断力のなさは常に隣あわせの関係にある。 決断力のなさを慎重という衣で覆い隠し、もう少し情報を集めてから、あと少し環境が整ってからと行動を遅らせていては、時期を逸しかねない。 状況や環境に主導権を渡さず、自己責任を恐れずに自らの意思と敢然と決断を下さなければならない。
「やらなければならない」と思ったときこそが「最適なとき」なのだ。
ただ、これだけは断言できる。 行動しなければ、あなたが求めているものは決して得られないと。
|
![]() |