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誰もが一流の人間になりたがっている。 これは人生の真実だ。 誰だって「ひとかど」の人物になりたいという望みを持って生まれてくる。 身分がどうであれ、出身がどこであれ、私たちは心の奥深くで「自分は特別な人間だ」「ほかの連中とは違うのだ」と信じないではいられない。 人は誰でも、そんな気持ちをいただいて育ってきたはずだ。
若いときには、考えつく限り、最高の夢を自由気ままに描くことができる。 前途にひそむ障害については何も知らず、ただ自分の望みにばかり目を向けている。 目の前に大きな門が開かれていて、そこをくぐりさえすれば夢は実現するというわけだ。 これも無理のない話だ。 結局のところ、若い世代にとって人生とは、サクランボが山ほど盛られた皿のようなものなのだ。 それを十分に謳歌することが、その後の人生を左右する。
人は誰でも、若い一時期、人生の醍醐味と素晴らしさを味わった経験があるはずだ。 ところが、その後はいったい、どうなってしまうのだろう?
これほどまで多くの人が人生に幻滅を感じるのは、いったいなぜだろう? それは簡単な話である。 高校や大学を卒業したとたんに、世間という悪意に満ちた大きな手で、横面をピシャリと張り飛ばされるからだ。 将来を約束されて会社にはいってはみたものの、なかなか思うとおりにはいかない。 フラストレーションはたまるばかりだ。 こうなる人とは、自分の人生にまだ選択の余地が十分残されているなどとは信じられず、むしろ現実をそのまま受け入れて、人生が分け与えてくれるものをありがたく頂戴しようという姿勢を身につけていく。 そして、月並みでありきたりの生活に甘んじ、人生を流されるままに生きていくようになる。 こういうなりゆきが、私には手に取るようにわかる。 何故なら、私自身がこれまでの人生でそれを経験してきたからだ。
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