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人生の半分以上を吉田拓郎を聴きながら、体験しながら、ギターを弾きながら、唄いながら生きてきた僕がおすすめする吉田拓郎の名作集です。 ほぼ、時代順です。
この曲の詩が、どこかの国立大学の国語の問題として出題された、と拓郎本人が言っていた。
また、唄いやすい歌で、コード進行も簡単なので、僕も中学1年の頃に、よく歌っていました。
最近バージョン
●吉田拓郎『マークⅡ』
吉田拓郎の実質的なメジャーデビュー曲だ。 デビュー曲という思い入れもあるんだろうね。 でも、まぁ、いい歌です。
●よしだたくろう『雪』 ほとんど、昭和歌謡曲である。 でも、その後の名曲「贈り物」の中の歌詞で「きみが好きだった『雪』は誰かに唄ってもらえばいいさ」と歌っている。 当時の拓郎の恋人の話かもしれない。
それと、吉田拓郎が歌っていた「高円寺」という駅を中央線で通過した時だ。
●吉田拓郎「高円寺」
第3回全日本フォークジャンボリーに出演。 このコンサートに於ける拓郎のパフォーマンスは神話化している。 当初、拓郎の出演予定は無かったが後から出演が決まった。 メインステージとサブステージの分け方や、出演順を巡ってトラブルが繰り返され、拓郎も1日目は3曲しか歌わせてもらえなかった。 このコンサートの模様は二つのレコード会社によってレコーディングされ会場内にテレビが持ち込まれていた。 2日目の夕方、数百人にも満たないサブステージで演奏をはじめた拓郎がこうした商業主義の乱入に対しさかんにアジり、PAの故障によりノーマイク、ノースピーカーで2時間に亘り「人間なんて」の熱唱を続けるうち熱狂した観客が増え、小室等の「メインステージに行こう!」の言葉が引き金となり観客がメインステージになだれ込んだ。 舞台を目がけて花火が打ち込まれ会場は騒然、主催者との討論会となり、そのままコンサートも自然流会してしまった。 観客の暴動を恐れた岡林信康が逃げ帰ってしまったため、主役交代を印象付けることとなった
●吉田拓郎「人間なんて」(1971年)
11月、「人間なんて」の弾き語りヴァージョンを含むアルバム『人間なんて』を発表。 エレックからの最後のリリースとなるこのアルバムは、プロデューサーを拓郎自身が務め、ディレクターに加藤和彦、木田高介、またアレンジャーや参加ミュージシャンに小室等、遠藤賢司、松任谷正隆、林立夫(後にティン・パン・アレーに参加)、小原礼(後にサディスティック・ミカ・バンドに加入)など、この後日本のロック&ポップスの礎を築くことになるミュージシャンを起用した。 収録曲の「花嫁になる君に」は後に黄金コンビと呼ばれることになる作詞家・岡本おさみとの第1作である。
●吉田拓郎「花嫁になる君に」 僕の友人が結婚式でギターを持って、この歌を花嫁に贈っていたけれど、歌詞の内容からして、結婚式に適切なのかどうか・・・・。
上記の「人間なんて」のアルバムに入っている、吉田拓郎らしい大傑作。(初期の吉田拓郎の中では、僕はこの歌が一番好きだ。)
その結果が「結婚しようよ」であり、大ヒットになったのだから、作戦は成功した。
「結婚しようよ」のB面に入っている「ある雨の日の情景」も短い小曲なのだが、佳作だ。
ここまで紹介したアルバムで入手可能な吉田拓郎もアルバム PR |
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